コートの下で

「うわぁ、やっぱり人いっぱいだねぇ」
「うん……はぐれないようにしないと」

あの日も、同じように僕たちは会話した気がする。
数ヶ月前の夏の晩も、恋人の涼子とこうして話してた。

違うのは、僕を絞めつけてくる罪悪感。
恋人を裏切っているという後ろめたさ。
あの日から幾度も、幾度も…………この今も。

周囲からは、今年もよろしくとか、
新年の抱負はどうするとか、そんな声ばかり聞こえる。
時間は深夜零時を五分ほど過ぎたところ。
僕らは待ち合わせて初詣に来ていた。

この辺りでは有名な神社だから、参拝客の数も多い。
ぎゅうぎゅう詰めの電車を思わせるほどの混雑ぶりだった。

「ねえ、なにお願いするか決めた?」

右隣で歩く彼女が、無邪気な顔で聞いてくる。

「えと……考えてなかった、かな」

「そうなんだ?
 んー、でもお参りできるまでには時間かかりそうだから、
 ゆっくり考えればいいよね。
 あっ、でも大学合格だけはちゃんとお願いしなきゃだめだよ?
 私の大学に来てくれるって、約束だもんね」

「そうだね……わかってる。忘れてないよ……」

その台詞は、涼子だけに向けたものじゃなかった。
僕の左側に寄り添う、小柄な少女にも向けた言葉だった。

僕のなにもかもを奪っていった女の子。
それでいて涼子と別れることを決して許さない女の子。
その身体で何度射精させられたかわからない。
なのに、いまだに名前さえ知らなかった。

初詣に涼子を誘ったことさえ、少女に言われたからだった。
そして女の子はこうも言った。
「私もお兄さんたちと一緒に参拝しますから」と。

もちろん涼子はなにも知らない。
人ごみのなかでたまたま隣り合わせになった女の子だと思ってる。
彼女にとっては、少女はたんなる通行人でしかない。
だけど僕にとっては…………。
 
 
 
人の流れに沿って、少しずつ前に進んでいく。
十五分ほどして、やっと本殿が遠くに見えてくる。
そのあいだ、女の子はただ僕にくっついたまま歩くだけだった。

それが不思議で…怖くて………物足りなくて。
コート越しにでもなんとか女の子の体温を感じたくて、
でも感じられなくて、もどかしさだけがつのっていく。
会話もなにもかもが上の空だった。
条件反射のように涼子の言葉には答えるけれど、
なにを喋っているのか、自分でもよく分からない。

ズボンのなかでペニスが膨らんでいくのを感じる。
彼女と並んで歩いるのに、違う女の子に劣情を覚えてしまう……。
だめだと分かっているのに、ペニスが勝手に快楽を求めてしまう。

涼子が小首をかしげてなにか聞いてくる。
質問の内容さえ分からないままに、うん、と相槌を打つ。
彼女がふわりと微笑む。

「……じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」

右手があたたかい感覚に包まれる。
涼子の手が、僕の手をしっかりと握っていた。
僕の手の方がずっと冷たいはずなのに、
「あったかぁい」と涼子は幸せそうに笑う。

一瞬、その彼女が視界のなかでぶれる。
立ちくらみのような目まいがする。
罪悪感と、後悔と、自己嫌悪と、
なにもかもが一緒くたに襲いかかってくる。

…………いっそ、すべてを打ち明けてしまおうか。

自分がずっと涼子を裏切っていた、と。
欲望のまま、この少女と淫らな遊びにふけったと。
そう告白して懺悔しようか。
もう恋人同士ではいられない。
少女にも捨てられる。
それでも、それでも……!

腰のあたりを、なにかが這いずる感触がした。
僕のコートの左ポケットに……女の子が手を滑り込ませてる。
そしてそのまま、破けたポケットを手首がすり抜けていく。

――コートのポケットに穴を開けてきてくださいね。

それが、今日の僕への命令だった。
なにをされるのか分からないまま、僕はただただ従った。

……本当に?
本当は気づいていたんじゃないだろうか。
もしかして……もしかしてこうなるんじゃないかって。

女の子の指先が、ズボンの膨らみを、たん、と叩く。
ペニスが、びくっ、と跳ねる。
重なった布地の上からでも、その指の柔らかさが分かる。
いままで何度も何度も僕の性器に絡みついた指。
思い出すだけで、まるで今も直接ペニスを撫で回されている気がする。

指の腹が、裏筋のあたりをゆっくり押してくる。
たっぷり五秒は押しつづけてから、一瞬指が離れる。
ペニスがどくんと大きく蠢く。
そしてまたすぐに指でじんわりと押される。
またも数秒間、じっくりと圧迫が続き、また一瞬だけ解放される。
何度も何度も、それが繰り返される。

「あ、またメール来た。
 やっぱりあけおめメールかな?」

手を繋いだまま、空いた手で涼子が携帯を取り出す。
届いたメールを彼女が確認している隙に、
視線を左隣の少女に走らせる。
少女も同じタイミングで僕を見上げて、わらう。

女の子はなにも言わなかった。
だけど、目を見ただけでぜんぶ分かってしまう。
もし口を開いていたら、この子がなんて言うのかを。
ひどく生々しい幻聴が聞こえる。

『いったい、お兄さんはなにしてるんです?
 可愛い恋人さんと仲良く手を繋いで、
 それでいて他の人にペニスをいじられて。
 はしたない人ですねぇ……』

目でそう言いながら、少女は刺激をつづける。
今度は指だけじゃなくて、
手の平で竿全体がぎゅうっと圧迫される。
それと一緒に、爪を根元近くにかるく食い込ませてくる。
くいくいっと、ズボン越しに爪が根元を引っ掻く。
腰が震える。亀頭に血液が流れ込んで膨れあがる。

やめて、と懇願するように少女に視線を送る。
でも女の子は目をほそめて笑うだけ。
また耳元で囁かれているみたいな錯覚に陥る。

『やめてだなんて、嘘つかなくていいですよ。
 お兄さん、本当はなにもかも分かっていたんでしょう?
 期待していたんでしょう?
 彼女さんの横で、こうやって気持ちよくしてもらうのを』

二本の指が、竿の裏側をぐにぐにと押しながら上ってくる。
意識しないようにしていた射精感が引きずり出される。
頬が紅潮していくのが自分でわかる。
吐く息がいっそう白くなる。

「ごめんね、ちょっと返信手間取っちゃった。
 ……どうかした? 気分でも悪い?」

携帯をしまった彼女が、僕を見て不思議そうにする。

「そ、そうかな……どうもしないよ?
 たぶん、ちょっと、人に酔ってきちゃったかな。
 このところ、ほら、あれ、家にこもって勉強ばっかりだったから」

『白々しいですねえ、お兄さん。
 家で勉強するからって嘘をついて、いつも私と会ってるのに。
 彼女が寂しい思いをしているあいだに、
 おちんちんを気持ちよくしてもらって、よがっているのに』

頭のなかに響く声を無視して、涼子に笑いかける。
彼女はまだ心配そうにしながらも、とりあえず納得する。
そのあいだも指はずっといやらしく動きつづけてる。

……不意にジッパーが引き下ろされる。
女の子の指が下着の隙間から入り込み、ペニスに触れる。
冷たくて心地よい指の感触に、身体ごと震えてしまう。

「…………うぁ」

声がどうしようもなく漏れてしまう。
指が、指が、指が……!

頭のなかが、少女の指のことだけになってしまう。
舐めてくださいと言われて、その指を口に含んだことさえある。
はしたなく吸いつき、必死に舐めたのを覚えてる。
長い時間かけて、すべすべの肌を味わっていた。
それから僕の唾液でまみれた指で、ペニスをまさぐられた。
そんな記憶がいくつもフラッシュバックする。

その指が、ズボンからペニスを取り出していく。
丈の長いコートの下で性器が露出される。
カウパーはとっくに溢れ出していて、
濡れた亀頭が空気に触れてひんやりする。

「ちょっと大丈夫? やっぱり気分悪い?」

おかしな声を漏らしてしまった僕に、心配そうに涼子が語りかけてくる。

「あ、うん……平気だよ。
 足踏まれたんで、びっくりしただけ」

女の子の指がこぼれたカウパーをすくい取る。
粘液を絡みつかせた指で、カリ首を何度も撫でられる。

『ふふ、お兄さん嘘が上手ですね。
 さすが、何ヶ月も恋人さんを裏切ってきただけありますね…』

手のひら全体にカウパーをこすりつけながら、
少女の手がペニスを弄ぶ。
くちゅくちゅ…と粘液が混ざりあうのが感じられる。
女の子はわざと音を響かせるようにして激しくペニスをしごく。
コート一枚隔てただけの向こう側で、淫らな音が響いてる。
音に気づかれるのが怖くて、思わず口を開く。

「そういえば、あれだね、今年のなんだっけ、あの、そう抱負。
 今年の抱負ってもう決めた?
 僕は、そう、もちろん大学合格もあるけど、
 でも合格したあとのことも考えて抱負は決めたいかな。
 一年って長いし、それから」

さして意味もないことを大きな声で話しつづける。
涼子は少しきょとんとしてから、
でもすぐににこにこして僕の話を聞いてくれる。

指の動きがさらに早くなる。
包皮が何度も上下して、亀頭の表面をこすっていく。
ペニスも女の子の指もぜんぶカウパーにまみれていた。
どこを触られても、もうぬるぬるしか感じない。
陰嚢さえも粘液まみれの指で撫で回される。

射精感が強くなる。
ひくつくようなペニスの動きが止まり、
精液が腰の奥から流れてくるのがわかる。
射精に向けて肉棒全体が緊張する。

『お兄さん、それでいいんですか?』

そんな囁きが聞こえたような気がした。
指がすっとペニスから離れていく。
慌てて快感を求めて腰を前に突き出して、
でもコートの裏地を汚しただけだった。

『あはっ……みっともないですねぇ。
 まるで一人で腰を振ってるみたいですよ。
 ねえ、いいんですか?
 彼女さんの隣でこっそり射精するなんて。
 本当にそんなことしていいと思ってるんですか。
 いくらお兄さんが最低の人でも、
 それってあんまりだと思いませんか?』

少女の指が戻ってきて、鈴口に触れて、また離れていく。

『それとも、もう堕ちるところまで堕ちてしまいました?
 後ろめたささえ感じないぐらいの、底の底まで。
 そういうのはだめって、私と約束しましたよね。
 気持ちよければ他はどうでもいいなんて、
 そこまで堕ちたらもうお兄さんとは会わないって、
 そう約束しましたよね』

快楽と罪悪感のあいだの関係。
それを思い出させるように、
指はペニスに一瞬絡みついてはすぐに離れていく。
もどかしさで気が遠くなる。
いっそ自分でしごいてしまいたくて、手が震える。

「……もしかして寒い?」

手の震えの意味を誤解して、涼子が気遣わしげに言う。
いつのまにか僕は喋ることも忘れていた。
寒くないよ、と答えようとした。
でも口を開いたらみっともなく喘いでしまいそうで、できなかった。
強張った頬をなんとか動かして、笑みを形作るのが精一杯だった。

「ごめんね、私の手が冷たかったかな?
 ……あ、じゃあこうしちゃおっか」

言って、涼子は繋いだ手を……そのまま僕のポケットに押し込んだ。
制止する暇なんてなかった。

「こうすればちょっとはあったかいよね……って、あれ?
 ポケット、穴開いてるよ?」

「……そ、そうだった?
 あー……なんでだろ、気づかなかったな。
 去年買ったのだし、覚えてないけど、どっかで、破いちゃたのかな」

「んー、でもすごい破れてるよ?
 次は同じお店で買わないほうがいいよ。
 ほら、手首まで入っちゃいそう」

次からは気をつけるよ、と僕が上ずった声で答えるのと、
女の子の指が戻ってくるのが同時だった。

ペニスに五本の指が巻きつき、根元から大きくこすられる。
そのほんの数センチ……下手したら数ミリ先で、涼子の指が動く。
こぼれ飛んだカウパーさえかかりそうな至近距離。
このまま射精なんてしたら……!

すがるように女の子を見た。
少女も僕を見上げて……唇の端を吊り上げた。

『いい顔ですよ、お兄さん。
 そういう表情が見たかったんです、私。
 ねえ、大変ですね、このまま射精なんてしたら。
 恋人さんの手に精液かかっちゃたりして。
 そしたらどうなるんでしょう。
 コートのポケットに手を突っ込んでオナニーしてた変態さん。
 なんて言われるんでしょうか……さ、教えてください』

根元近くの陰毛が、じゃりじゃりと激しくかき回される。
かすかな痛みにも似たその刺激の直後に、指が竿を優しくさする。
亀頭の上で親指が円を描くようにくるくると回される。

「あとでつくろってあげるね。
 もし受験票とか入れて落としたりしたら大変だもん」

涼子はきっと優しい表情をしているのだろうけれど、
もうまともに顔を見ることができない。
彼女の形の良い唇が動くのだけが視界の隅で見える。

少女につかまれたペニスが、左右に大きく揺さぶられる。
触れる。触れてしまう。ばれちゃう……!
それだけはいけない、いけない……!

女の子の手を抜き取ろうと、左手をポケットにねじ込んだ。
でも、少女の手首をつかむよりも早く、カリ首を爪でこすられる。
焼けつくような刺激と快感に、全身が硬直する。

『だめですよ、やめちゃ。
 お兄さんは、今日ここで射精するんです。
 彼女さんのすぐ隣で、どぱぁって盛大に射精するんです。
 ばれるの、怖いですよね。
 怖いけど…………それがいいんですよね?』

亀頭の表面が、爪で軽くカリカリとこすられ続ける。
もう射精感はこらえようのないところまで来てる。
腰の奥がひときわ強く脈打つ。

「今日は、そっちに、手、入れさせて……よ」

繋いだ手をポケット引き抜き、涼子のポケットに押し込んだ。
かすかに涼子のぬくもりが感じられる。
女の子の指が裏筋をつまみ、くいっと小さくひねる。

……びゅるっ…! びゅぶっ……ぶっ……びゅちゅっ…!

精液が思いきり放たれる。
膝ががくがくと震える。
女の子の手のひらに精液がたっぷりかかるのを感じる。
涼子が僕の手をきゅっと握ってくる。
彼女の優しさそのものを汚してるみたいな気がする。

「……やっぱり様子おかしいよ。熱でもある?」

涼子がポケットから手を出して、僕の額に当てる。
冷え切った額にやわらかいぬくもりが広がる。
コートの下では、ペニスがまだ弱い律動を繰り返してる。

「あ、うん……ちょっとだけ頭痛がね」

その言葉は嘘じゃなかった。
側頭部がずきずきと締めつけられるように痛い。
射精の余韻でペニスがひくつくたびに、ひときわ痛む。
痛みのなかで、また少女の声が聞こえる。

『気持ちよかったですか、お兄さん。
 良かったですね、彼女さんに精液かけずに済んで。
 それとも、ちょっと残念でした?
 綺麗な恋人を精液でどろどろに汚せなくて』

声はさらに続く。

『お兄さんみたいな人が彼氏だなんて、
 彼女さんはかわいそうですね。
 もっと素敵な人とお付き合いできるはずなのに。
 こんな嘘つきさんにずっと騙されて。裏切られて。
 ああ、本当にかわいそう』

かわいそう、と何度も声が唱える。
何度も、何度も、果てしなく…………。
 
 
 
     * * *
 
 
 
「気分、落ち着いた?」

「ありがと……もう大丈夫だよ」

あのあとなんとか参拝を済ませ、僕らは境内の片隅で休んでいた。
頭痛はもうほとんど治まってる。

「受験前なんだから、気をつけないとだめだよ。
 ね、もうちょっとここで休んでて。
 私、かわりにお守り買ってきてあげるから」

ごくんと唾を飲み込んだ。
僕はまた……なにかを期待してる。

「あ……それじゃ…………お願いしようかな」

涼子は微笑んで、背を向ける。
その背中に……急がなくてもいいよ、と声をかけてしまう。
優しい彼氏のふりをして。
醜悪な行為の時間を作るために。

「こんばんは、お兄さん」

涼子の姿が人ごみに消えるのと同時に、
あの少女が僕のそばに現れる。
さっきみたいに、また僕の左隣に寄り添ってくる。

「彼女さん、行っちゃいましたね。
 一緒に行かなくてよかったんですか?
 仲良しカップルのはずなのに……ねぇ?」

その質問には答えず、僕は呟くようにして言葉を返す。

「ああいうのは……やめてほしいんだ。
 ……誰のためにもならないよ。
 ばれたら涼子は悲しむし。
 君だってもしかしたら犯罪者扱いされて」

「またそうやって自分を正当化するんですか?
 自分に言い訳するのが、お兄さんは大好きですね。
 本当は、自分に都合の良い状況が崩れるのが怖いだけなくせに。
 彼女さんに非難されずに、そのくせ私に気持ちよくしてもらえる。
 そんな幸せがなくなるのが嫌なだけなんでしょう?
 それに、精液出したのはお兄さんですよ。
 誰が被害者かなんて見れば分かるじゃないですか。
 ほら……こんなにべとべとに汚しておいて」

汚れた右手が、僕の顔の前に突き出される。
いくらか乾いてはいたけれど、それでもまだ精液の粘り気が残ってた。
女の子が手を広げると、ねちゃっ…と指と指のあいだに白く糸が引く。

「こんなに汚いものを私にかけておいて、それで今さら言い訳ですか?
 ね……臭いもすごいですよね、これ。
 こんなに臭ってたら、周りの人にも気づかれちゃうかもしれませんね」

反射的に周囲を見渡す。
辺りは暗くて、僕らに注目してる人はいない。
いまのところは、だけど。

「慌てるのが遅いですよ、お兄さん。
 でも、本当にこのままじゃ気づかれちゃうかもしれませんね。
 それじゃ……拭いてもらってもいいですか?」

少女が僕にハンカチを手渡す。
提灯のかすかな明かりのなかで、シルクの布地が光沢を放ってる。
ブランド物の、高級そうな……見覚えのあるハンカチ。

「どうしたんですか、手が震えてますよ?
 お兄さんが自分で彼女さんにあげたハンカチですよ。
 べつに変なものじゃありません。
 ……まさか忘れたなんて言いませんよね?
 私がお兄さんと一緒に選んであげたじゃないですか」

そのとおりだった。
彼女への誕生日プレゼントさえ、僕はこの子に決められて。
それをそのまま……涼子に贈った。

「ハンドバッグの中にあるのが見えたんで、こっそり借りてきちゃいました。
 ……かまわないですよね?
 彼氏であるお兄さんにちゃんと返すんですから」

ハンカチが僕の手に押しつけられる。
僕はその薄布をつかみ……少女の手を拭きはじめる。

「そう……ちゃんと拭き取ってくださいね。
 お兄さんの気持ちの悪いぬるぬるがなくなるまで、しっかりと。
 この臭くて汚い液体を、ぜんぶハンカチに染み込ませてください」

あとで洗えばいい。
あとで洗って、こっそり返せばいい。
頭の中でぐるぐると、そんな言葉ばかり渦巻く。

拭いても拭いても、ぬるぬるした汚れがなかなか落ちない。
焦れば焦るほど、上手くいかない。
拭き取ったはずの精液が、
汚れていなかった手の甲にかえってこびりついてしまう。
それを拭おうとして、また別の場所に粘液がくっつていく。

「お兄さん、なにしてるんですか。
 私の手、きれいになるどころか汚れていってますよ?
 もしかして、こうやって年下の女の子の手をどろどろにするのが
 楽しくて仕方がないんですか?
 ……違うんですか?
 じゃああれですか、失敗するふりをして、
 すこしでも長く私に触っていたいんですか?」

僕の手がひときわ大きく震える。
そんなこと考えてなかった。なかったと思う。
だけど、言われたら意識せずにはいられない。
小さな手のひら、華奢な指先、柔らかい指の腹。
こんな美しく淫らなものが、さっきまで僕の性器をいじってたなんて。
夢じゃない証拠に、こうやってねばねばの精液がこびりついてる……。

「どうしたんですか、腰が引けてますよ?
 また……興奮してきちゃいました?
 知らない女の子の手を拭いて、それだけで欲情しちゃうんですか?
 ね……どうなんですか?」

女の子が、正面から僕に身体をすり寄せてくる。
僕の手からハンカチが奪われる。
穴の開いたポケットからまた手が差し込まれる。
あさましく勃起したペニスに……ハンカチがかぶせられる。

「ふふ……やっぱりガチガチですね、ここ。
 女の子の手に触っただけでこんなに勃起して……。
 お兄さん、ちゃんと日常生活がおくれてるんですか?
 そのうち理性をなくして、レイプとかしちゃうんじゃないですか」

シルクのなめらかな感触が、竿をゆっくり撫でていく。

「お兄さんのここもどろどろですね……。
 こうやって拭いてあげますけど……だめですね。
 きっとお兄さんのことだから、
 まただらしなく精液漏らしちゃうんでしょうね。
 恋人に贈った大事なハンカチを、
 二度と臭いが落ちないくらい汚しちゃうんでしょうね」

そんなことしない、と僕は言い返す。
でもかぼそい声は、周囲の喧騒にかき消される。
少女の行為を止めようと腕をつかむ。
でも……つかんだだけでなにもできない。

もうハンカチは汚れてしまった。
だったら、このすべすべの感触をもう少しだけ楽しんだって。
あと一秒だけ……五秒だけ……十秒だけ……。

「口が開いてますよ、お兄さん。
 目もとろんとしてきました。
 ほら、私の腕をつかんでどうするんですか。
 ああ……そうやって私におちんちん扱かせるんですか?」

気がつけば、僕は少女の肘をつかんで、上下に動かしていた。
つるつるの布地が、肉棒をさすっていくのがたまらない。
僕が手を動かすたびに、少女の手をつうじて性器がこすられる。

「私の手でオナニーするのは気持ちいいですか?
 いいですよ、新年のお祝いに好きなだけさせてあげます。
 ハンカチでたっぷり扱いてあげます」

ハンカチが広げられて、竿全体をくるっと包み込む。
なめらかさが肉棒全体に隙間なく広がる。
手首をくるくると回すようにして、螺旋状にこすり上げられる。

「………あぁ……これ、いいよぉ………」

弛緩しきった声が自分の口からこぼれる。
人間というよりも、動物の鳴き声にも似た醜い声だった。

「そんなにいいですか?
 良かったですね……今日の私が優しくて。
 安心してください、いつもみたいにお預けしたりはしませんから。
 いくらでも、気の済むまでお兄さんのものをいじってあげます。
 だから、もっとじっくりと快楽に浸ってくださいね。
 ……彼女さんが帰ってくるまで、ずっと」

ぴくり、とまぶたが震える。
そうだった……そうだった……。
早くしないと、涼子が戻ってきてしまう。
さっきから何分経っただろう。
列に並んでるから時間はかかるはず。
ああ……でも。
いったいどれぐらいこの子の手を拭いていただろう。
わからない。時間の感覚がない。

「急にそわそわして、どうしたんですか?
 なにか大切なことでも思い出しました?
 そんなこと忘れてしまいましょうよ。
 せっかくいくらでも気持ちよくなれる時間なのに。
 私がこんなに優しいの、今日が最後かもしれませんよ?」

「……だめだよ。やめよう、いまは、いまは……」

「おかしなこと言いますね、お兄さん。
 いいよぉ…なんて嬉しそうに喘いでたじゃないですか。
 とっても幸せそうだったじゃないですか。
 さ、もっと幸せになりましょう……」

亀頭の表面がハンカチでごしごしとこすられる。
カリ首から裏筋へと、円を描くように縁をなぞられる。

「お兄さん、包茎さんですからね……ふふ。
 こうやってきちんと拭いてあげないとだめですね。
 時間をかけて丁寧に……」

頭のなかにゆっくりと心地よさが溜まってくるのが分かる。
だけど、その溜まり方があまりに遅くてもどかしい。

「さっき一回出したから、少しは我慢できますよね。
 だから、じっくり気持ちよくなりましょう。
 その方が、気持ちいいですよね」

女の子の言うとおりだった。
優しくなぶるような刺激にペニスは固くなるけれど、
でも腰ががくつくほどの快感には満たない。
焦燥感ばかりが高まる……。

お待たせ、という声がした。
心臓が跳ね上がる。
でも、それは少し離れたところにいる別のカップルだった。
男性が文句を言いながらも、彼女のマフラーを巻きなおしてる。

「素敵なカップルさんですね。
 でも、お兄さんも寂しがる必要はないですよ。
 ちゃんと素敵な彼女さんがいますものね。
 けど……いまは私たちがカップルみたいに見えてるかな?
 ロリコンお兄さんと、それにだまされたかわいそうな私。
 そんなふうに思われてるんでしょうね。
 たぶん誰が見てもそう見えちゃいますよ。
 もちろん、彼女さんにだって。
 いまもどこかから、唖然とした顔で私たちを見てるかも」

人ごみに視線を走らせる。
涼子が…………いた。

僕のいる場所を探して、きょきょろと辺りを見渡してる。
まだ距離はあるし、気づかれてはない。
でも、そんなの時間の問題だった。
慌てて目を伏せて、少女に囁く。

「やめて、お願い、やめて……。
 もう涼子がそこにいる、ねえ、だから……」

それを聞いて……女の子は淫靡に笑う。

「ふふ……本当に帰ってきちゃいましたか。
 大変ですね……お兄さんの人生も終わりかもしれないですね」

女の子は、空いていた左手もポケットにもぐりこませてくる。
右手で肉棒をしごきあげながら、左手が裏筋をいやらしくさする。
もう顔を上げられないけれど、涼子が見ている気がする。
なのに、なぜだか腰の奥がきゅうっと収縮する。
陰嚢が持ち上がり、射精に近づいていくのを感じる。

「このハンカチ、汚しちゃいましょうね。
 大切な思い出の品を、お兄さんの下劣な精液で汚すんです。
 知らない女の子に欲情して吐き出した精液で、
 元の色が分からなくなるぐらいに真っ白に汚しましょうね……」

シルクのすべすべとした手触りと、精液とカウパーのぬるぬると、
女の子のあたたかくてやわらかい指が、ぜんぶ一緒になって。
意識がくちゅくちゅというペニスを包む感触だけになる。
なにもかもが、やらしい水音のなかに溶けていく……。

……ぶじゅぅぅっ…! じゅちゅっ………ずじゅるっ……!

ペニスの先端をくるんだハンカチのなかに精液が放たれる。
布地に跳ね返り、あたたかくぬめった精液が亀頭に降りかかるのさえわかる。
女の子の指が、ハンカチの上からカリ首をよしよしとなだめるようにさする。
その優しい指づかいが、かえって射精を長引かせる。
少女の両手に包まれたまま、じっと快感に浸りつづける……。
 
 
 
やがて女の子は楽しそうに微笑んで、
それから姿を消した。
ほどなくして、涼子が僕を見つけて駆け寄ってくる。
なにも気づかれてなかったのだと……そう思う。

「お待たせ。調子良くなった?」

「……どうかな。……ごめんね、心配ばっかりさせて」

「気にしないでよ、そんなの。
 それより、お守り買ってきたよ。ほら学業成就」

差し出されたお守りを受け取る。
ありがとう、と口では言えた。笑顔も形作れた。
でも本当は、受け取る手の精液臭さに気づかれないか、
そんなことばかり気になってしまう。

「それとね……これも買っちゃった」

さっきのよりずっと小さな青いお守りを渡される。
涼子の手には、同じ形の赤いお守りが握られてる。

「これね、恋人同士のお守りなんだって。
 このお守りを持ってる二人は……ずっと幸せなカップルでいられるの。
 ふふ……口にするとちょっと恥ずかしいね」

……ああ、本当に。
僕は、僕はどうしてこんなに素敵な彼女がいて。
それなのに、それなのに……。

「とにかく、今日はもう帰ろうよ。風邪も引きかけてるみたいだし。
 ね、体調ばっちりにして受験に望まないと。
 春からは、一緒にキャンパスライフ送ろうね」

僕は黙ってうなずく。
なんとなく予感がしてる。
きっとそうなるだろうって。

たぶん僕は大学に合格する。
涼子と二人で一緒の学生生活を過ごす。
そうなると思う。

これからも僕らはずっと一緒で。
僕はずっと彼女を裏切りつづけて。
あの子にすべてを捧げつづける。
……そんな気がする。

吐き気と頭痛が止まらない。
耳鳴りがひどい。
目まいがする。
なのに身体が熱く火照ってる。
コートの下でペニスが大きくなるのを感じる……。

どこかで誰かが、ハッピーニューイヤー、と叫んだ。

END