死神ハネムーン(前編)

「ご結婚おめでとうございます。
 あ、申し遅れましたが――わたし、死神です」

 新婚旅行3日目の早朝。
 ソイツはホテルの浴室に現れた。

 まだ眠っている佐織(さおり)を起こさないようにと、一人でシャワーを浴びているときだった。シャンプーが目に入りそうになってまぶたを閉じて――次に開いた瞬間には、もう隣に女性が立っていた。

「…………」

 僕は黙って頭を振った。まだ寝ぼけてるんだろうと思ったから。
 でも、消えない。

 目の前に、たしかに女性がいた。
 長い黒髪と、まるで夜会にでも行くときのような黒いパーティドレス。それでいて肌は日の光を浴びたことさえないかのように白い。前髪が一房垂れているせいで、余計に顔の黒と白のコントラストが際立ってた。

 けど、それら以上に……その胸元に視線が吸い寄せられる。瀟洒なデザインのドレスなのに、胸元だけが娼婦のために作られたかのように大きく開いてる。その中に、色白の乳房がぱつぱつに詰まってた。テレビや雑誌でもなかなか見ないほどの巨乳だった。

「ああ、幻覚の類ではないですよ。
 このように……と、いけない、いまは触れないんでした」

 死神と名乗ったその女性は、僕の手を取ろうとした。が、さながら幽霊みたいに手がすり抜けた。やっぱり幻覚めいていた。
 でも、幻覚だと決めつけるには……あまりにその姿が鮮明だった。黒髪の一本一本、肌の艶々とした質感、ドレスの胸元についた細かなフリルが揺れる様。なにもかもがリアリティがありすぎた。

「……半信半疑、というところでしょうか?
 まあ、半分程度でも信じてもらえてるのなら十分ですね。
 さきほども言ったように、わたしは死神なんです」

 どくん、心臓が激しく脈打った。
 ……死神? それで、これはもしかしたら夢じゃない……?
 え、じゃあ……僕を……。

「こ……ろす、の?」

 なるべく平静を装ったつもりだった。でも声は、みっともないほどに掠れてた。
 死神がにんまり、と唇を吊り上げた。

「ええ、ではさっそくあなたの命を――というわけでもありません。
 ……ふふ、怖かったですか?」

 女性はいたずらっぽく微笑んだ。ただ整いすぎた容姿と黒一色のドレスのせいか、可愛さよりも底知れなさを感じてしまう。

「少し説明をしましょうか。
 ……じつは今夜、あなたは佐織さんとセックスをすることになります」

 は?という声が漏れかけた。
 予想外のことじゃなさすぎて逆に予想外というか……僕が、妻となった佐織と性行為をするのは、なにもおかしいことじゃない。べつに、わざわざ誰かに指摘されたいことでもないけれど。

「なにを言いたいかは顔に書いてありますが、そう慌てずに。
 問題は今夜のセックスの結果――佐織さんがお子さんを授かってしまうことです。それも、とてもとても優秀なお子さんを」

「…………」

「そのお子さんがどのぐらい優秀かというと、なんと数十年後の未来では、人類を救ってしまうんですよ。
 詳しい内容は言えないんですけれど、そこは適当に想像してください。核戦争でも、凶悪なウイルスでも、天災や食糧危機でも、なんでもいいです。とにかくそれを阻止してしまうんです。まさに救世主です。すごいですね」

 そこで一瞬だけ言葉を切ってから、死神が続ける。

「ただ……そういうのが都合が悪いって勢力もいまして。人類が滅びに近づく方が嬉しいっていう、悪魔とか、悪い神様とか、それはもう色々と。
 で、じゃあどうするかっていうと」

 死神が微笑んだかと思うと、手刀で僕の首をかっ切った。
 ……いや、切れてない。触れられないから、すり抜けただけだ。それでも血の気がさぁっと引いた。

「くすっ……冗談ですってば。殺さないって、わたし言いましたよ?
 死神にもあれこれ制約があってですね、本来の運命にないときに、その人を殺すってまずできないんです。だから安心してください。
 わたしが狙ってる命は――今夜授かるはずの、あなたのお子さんだけ、ですから」

「そんな、こと……!」

 反射的に拳をぎゅっと握り込んだ。
 力が湧いたのが自分でも不思議なぐらいだった。それでも、自分の子供を殺すと脅されて奮い立たないわけには……っ…。

「だから、そう慌てないでください……♪」

 死神がしなだれかかって来た。
 立ったままシャワーを浴びていた僕の胸元に、飛び込んでくる。当然、あのドレスからこぼれ落ちそうなほどの豊かな胸も、僕の身体に当た……らない。やっぱり、すり抜けてしまう。

「早とちりはだめですよ。
 わたしはなにも、あなたのお子さんが生まれてきたら殺しちゃおうとか、そんな残酷なことは考えてません。ね……安心しました?」

 身体の一部がすり抜けながらも、僕を抱きしめるような格好で女性が笑う。彼女の両腕が背中に回ってくるけれど、やっぱり感触はない。

「わたし、これでなかなか優秀な死神なんですけれど……それでも、人ひとりの運命を変えるのには限界があります。敷かれた運命のレールを捻じ曲げるなんて、とても無理です。
 できるのはせいぜい、レールの上に小石をひとつ置く程度……♥」

 死神が半歩だけ身体を離した。
 僕の背中から両腕がするりと抜けて、かわりに……ペニスに添えられた。

 それでいまさら気づく。
 相手に触れないとはいえ、僕は全裸を彼女に晒してた。慌てて股間を見ると、ペニスはわずかにふっくらしていたけれど、上を向いたりはしてない。

「だから、まずはそんな小石をひとつ置いてみようかな、と。
 具体的には……♥」

 死神が、ペニスを撫でる真似をした。左手でペニスを支えるようにしながら、右手で竿の背中をしゅる…しゅるり…と擦っていく。
 もちろん感触はないんだけれど、それでも明らかにペニスを弄ばれてる、と感じた。それもこんな絶世の美女ともいうべき相手に。

「っ……なにを、急に……」

「いえ、べつに……素敵なおちんちんだなぁ、って♪ なにせここから、未来の救世主の子種をびゅーっ♥、どくどくー♥って吐き出すんですものね」

 射精の擬音のところをやたらと艶っぽく声に出してくる。
 いけない、と思っていたのにペニスが持ち上がるのを感じた。下を向いていたのが水平に近くなり……やがて上を向き始めてしまう。

「わ……おちんちん、もっとカッコ良くなってきました。
 濃い精液、びゅるびゅるー♥って、たくさん出せちゃいそう……♪」

 勃起したペニスに合わせるようにして、死神が手の位置と動きを変えていく。右手の指は輪になって、竿をしこしこと前後に扱く格好になる。
 それでいて、実際の感触はまったくない。

(こんな、の……)

 もどかしい、と思ってしまう。
 でもすぐさま、そう思ってしまった自分に反吐が出た。浴室を一歩出れば、佐織だっているのに。そんな場所で、ペニスを勃たせてる。あまつさえ快楽を欲しがってしまってる。こんなの、許されるわけない。

「いい加減に……や、め……っ…」

 とっさにシャワーヘッドを死神に向けた。手で突き飛ばせないならせめて、と。
 だけどそれも無駄だった。シャワーの水流も、こまかな飛沫も、ぜんぶ死神の身体をすり抜けて床や壁を濡らすだけ。

「おっと、残念でした……♥
 でも、あんまり暴れない方がいいと思いますよ? 物音立てすぎると、佐織さんが起きちゃいますから」

「…………!」

「まあ、わたしの姿はあなた以外には見えないので、浮気を疑われたりはしませんけど……♪
 でも、一人でおちんちんガチガチにしてシャワー浴びてるって、ちょっと変な目で見られそうですね……ふふふっ♥」

 楽しげに笑いながら、死神が扱くペースを上げる。その手つきは、いままで以上になめらかで、もう本当にペニスに触れてるように見える。

「ね、これ……このままじゃ収まりがつきませんよね。わたしがいま手を止めたところで、ムラムラした気持ちがずーっと残っちゃいますよ? いくら夜にはえっちができるとしても、それまで一日中ずーっと我慢しどおし……。
 そうなるよりは……いま、出しちゃいませんか。どくどくーって、思いっきりわたしの手の中に……♥」

「だから、なにを……言って……」

 そんなことダメに決まってた。だいいち、いくらなんでもこのまま射精したりはしない。耐えられる。実際に触られでもしないかぎり……。

(…っ………!?)

 その瞬間、ぬるり、と甘い快感がペニスに流れた。
 最初は気のせいだろうと思ったけれど、違う。鈴口からこぼれたカウパーが、すべすべの指で塗り広げられるのが分かる。
 死神の手が、ペニスを本当に扱いてる……!

「あ……♥ 触れるようになってきましたね。
 ということは……いま、思ったんでしょう? わたしに触ってもらいたいーって……♥」

「まさ、か……そんなわけ……」

「嘘じゃないですよ。死神って嘘はつけませんから……♪
 あなたがわたしに触ってほしいって思ったから、その力のおかげで実体化できたんです。まだ指先だけですけど……ほら、ちゅこちゅこー……♥」
 
 五本の指が、ペニスを素早く扱き上げる。カウパーまみれになった指がぬるぬると竿を擦り、その気持ち良さでまたカウパーが溢れる。

(う、ぁ………これ…っ……!)

 尋常じゃなく上手い。しかも、カウパーの上からでも指先のすべすべ感が分かる。人間ではありえないような極上の肌。そのうえ、ずっと視覚だけで昂らされたぶん、いきなりの快感に耐えられない……っ…。

 死神の手のなかで、ペニスが嬉しそうにびくん、びくんと跳ねる。まるで快楽をねだるような浅ましい動き。なのに、死神の手はそれに応えるように、いっそう甘く柔らかくペニスを撫で回してくれる。

「どうでしょう、あの人……佐織さんより気持ちいいですか?
 もしそうなら……きっと射精だっていつもより気持ち良いですよ。頭の中が真っ白になって、腰ががくがく震えちゃう、とびっきりのお射精……♥」

 だめだ。考えるな。想像するな。
 いくらそう念じても、イメージはひとりでに広がってしまう。人ならざるこの女性の、絹のようになめらかな手の中に、どぷどぷと精液を漏らす。それはきっと本当に本当に、途方もなく気持ちいいはず……。

 ペニスが震えはじめる。射精感はとっくに腰の奥で膨らんじゃってる。精液がペニスの根元に集まって、押し出されるのをいまかいまかと待ってる。ゼリーのような濃い精液が尿道を駆け上がる、あの快感をすでに思い描いちゃってる。

「出しちゃいけない理由なんてないんですよー♥
 だって、わたしはあなたにしか見えない存在なんですから。ここで精液をぶち撒けても、オナニーしたのとなんにも変わりません。一人でおちんちん慰めるかわりに、ちょっとわたしの手を借りて、しこしこぴゅーって、するだけ……♥
 誰も気づかないし、誰も怒りません……♪」

 死神の指が、亀頭に移動する。カリ首と裏筋にカウパーをなすりつけるみたいに、くちゅくちゅと扱いてくる。
 その小刻みな動きのせいで、彼女の身体も揺れ動く。黒のドレスの胸元で、細やかなフリルと一緒におっぱいが弾む。左へ、右へ。谷間ごと乳房がたぷたぷと揺れて、見てるだけでペニスがひくつく……っ…。

「あら……おっぱい、気になるんですか♥
 いいですよ、遠慮せずにいっぱい見ても。なんなら、おっぱい見つめながら出しちゃっても……ふふっ、そういうのも気持ち良さそうですね。
 ほら、ほら……♥♥」

 ペニスを巧みにさすり続けながら、死神が身体を左右に揺らした。
 おっぱいが、ゆさっ…と一際大きく跳ねる。おそらくノーブラのせいで、ドレスごと巨乳がたわむ。
 視線が吸いついたように、その胸元から離れない。射精感がじりじりと限界に近づくのが分かる。それでもきっと、歯を食いしばってでも我慢すれば、まだ――

「ひゃ…っ……♥♥」

 死神がいきなり嬌声を上げた。きっと彼女自身も想定していなかったであろう、艶っぽくも可愛い声。
 そしてそのときにはもう……彼女の胸元が実体化してた。

 黒いドレスと色白の谷間の上に、さっき向けたままだったシャワーが降り注ぐ。
 あっというまにドレスの布地が濡れ透けて、その下にある乳房が、乳輪や乳首までうっすら見える。おっぱいが見えちゃってる……っ…!

 ――びゅくっ! びゅるるっ……びゅぷっ……!! どぷ…っ……!

 精液が迸る。
 薄いドレスの布地がぴったりと張りついたおっぱいを見ながら、死神のやらかい手の中に精を吐き出す。たまらない。きもちいい……。

「もう……いきなりおっぱい濡らされるなんて、びっくりしちゃいました。
 しかもすぐ、びゅーってしちゃうなんて……おっぱい、そんなにお好きなんですか♥」

 死神が少し胸を突き出して、谷間をさらにシャワーに晒す。もともとゆるい胸元が水流に押されて、ドレスがめくれ落ち、片乳が露わになる……っ…。

「んふふ、見られちゃいました……♥
 どうですか、世界であなたしか見ることのできない、あなた専用のおっぱいですよ……♥♥ たっぷりご覧ください……♥♥」

「……ぁ……あっ……あぁぁっ……!」

 ――びゅるっ……! どぷっ……どく、どく…っ……!

 こんなこと良くないと思ってるのに、いまさら止められなかった。
 精液があとからあとから溢れて来て、もう自分でも軽く腰をゆすって、ペニスを死神の手に擦りつけてた。
 これが夢でもいい。いや夢であってくれ。訳の分からない思考と感情に突き動かされながら、おっぱいを凝視しながらペニスを震わせる……。
 
 
 
「……さて、と。まずはこんなところでしょうか」

 長い長い射精が終わったところで、死神が呟いた。
 自分の手にたっぷりと絡みついた白濁液を満足そうに眺めて、それから僕に微笑む。

「これで運命のレールに、小石がひとつ置かれました。
 でも安心してください。この程度の障害、あなたとお子さんの強い運命の前では、簡単にはね飛ばされちゃいます。べつに未来は変わりません」

「……ぁ……はぁ…………なら、なんで……」

 強すぎた快楽の余韻に息を切らせつつも、かろうじてそう尋ねた。
 もうこれが幻覚だとは思っていなかった。幻覚なんかでこれほどの快楽を味わえるはずがない。この女性は……この死神は、本物だ。

「結論を焦るの、良くない癖ですね。
 大切なのは積み上げること。塵も積もれば、という言葉があなたの世界にもあるでしょう? 小石も積もれば……というわけです」

 よく分からなかった。
 たしかに僕が、ある意味で佐織を裏切ってしまったのは事実だ。でもこの行為は誰にも気づかれないというのは、死神自身が言ったことだ。なら、僕らの夫婦関係にだってヒビは入らない……はず。

「ふふっ、まだ理解が追いつきませんか?
 まあ、そのうち分かりますから……ではまた」
 
 ――そう言って、死神は消えた。
 あとに残されたのは、死神の手からこぼれた少しの精液だけだった。
 
 
 
 その後、残った精液は冷水で洗い流した。大半は死神と一緒に消えてしまったから、臭いもほとんどしてないはず。死神自身の匂いも、まったく感じない。たぶん、そこまでは実体化しなかったんだろう。
 これなら、まず佐織には気づかれない。もし気づかれたとしても、旅行中で性処理できなくて溜まってたのでオナニーしてしまった、と言えばいい。多少呆れられても、怒られることはない。

 そんなふうに冷静に判断している自分が嫌になる。でも、真実を話したところで信じてもらえるはずもない。だから、仕方ない……そう思うしかなかった。
 
 
 
     * * *
 
 
 
「わー! ひろーい!」

 エレベーターから降りるなり、佐織が嬉しそうに叫んだ。
 ハネムーンで来てるこの島は、南国の楽園ということで海も有名だけど、負けず劣らずショッピング街も充実してた。
 いま訪れたこのビルも、幾つものフロアに高級ブランド店がひしめいてる。とはいえホリデーシーズンではないせいか、お客さん自体はまばらだ。

「ね、ね、どこから回り――あっ、あのコート気になるー!」

「分かったから、落ち着きなって。また転ぶよ?」

「むー……転びそうになっただけで、転んでなかったでしょー」

 そんな他愛もない会話をしながら、お店の中へ足を運ぶ。店員がさっそく出て来て、佐織と話をしはじめる。
 平和な光景だった……まるで今朝のことなんて、夢だったみたいに。

(夢……だったら、いいんだけど)

 一度は死神の存在を確信したものの、いまとなっては少し自信がなくなっていた。あのあと死神は一度も姿を見せていない。佐織が起きてからも、朝食中も、ここまで来る道中も。すべてが当初の予定どおりの新婚旅行3日目だ。
 やっぱり、あれは僕が寝ぼけてたのかもしれない。夢の中で意識を持ててしまう、いわゆる明晰夢ってやつで、たぶんそれで。

「お客様、なにかお探しですか?」

「……え? ああいや、僕は付き添いみたいな、も……の……」

 声をかけてきた店員に答えようと振り向いて、絶句した。
 死神が、そこにいた。

 シャワーで濡れてしまったはずの服は元通りになっていて、手にも精液の跡はない。最初に会ったときそのままの姿。

「付き添いってことは、お暇ですよね?
 なら、少し遊んでいきませんか。たとえば、運命を変える楽しいイタズラとか…♪」

「言っておくけど、あんなことは、もう……」

 そこまで喋って、気づいた。本物の店員の一人が訝しげに僕の方を見つめていた。いかにも頭のおかしい客を見る目で。
 そうだった。死神は僕にしか認識できない。

「ふふ。『あんなことは、もう』……なんでしょう?
 もう一度してほしい、とかでしょうか。なかなか節操がないんですね……♥」

 ――そんなわけ、ないだろう。
 頭の中で、テレパシーのつもりでそう言ってやった。だけど死神の表情はまったく変わらない。こういうのでは聞こえないのか。それとも聞こえないふりをしてるのか。

「反論がない、ということはそういうことですね?
 わたしといっぱい遊びたい、と……♥ 大切な人がすぐそばにいるのに……♥」

 死神が真正面から抱きついてくる。僕のTシャツから突き出た腕と、さらさらのドレス越しの彼女の腕が擦れた……ような気がした。
 慌てて頭を振ると、感触はもう消えてる。僕の錯覚だったのか……あるいは無意識に彼女を実体化させてしまったのか……。

「あれれ……なに慌ててるんですか?
 誰にも見えないんですから、知らんぷりしていつも通りにしてればいいのに……♪
 それとも……やっぱりなにか、期待してるんでしょうか」

 地面から少しだけ浮かび上がり、目線の高さを僕にあわせて死神が微笑む。彼女の両手は愛おしそうに僕の頬を撫でるフリをする。ただそれだけでも、唇を噛みしめていないと股間に血が集まりそうだった。
 これは、まずい。一方的に遊ばれてる。なんとかしないと……。

「…………えと、佐織」

 少し離れたところで服をチェックしていた佐織に、声をかけた。メンズのスペースを指差して、そっちを見てくると身ぶりで告げる。佐織は笑ってうなずいた。

 すぐさま場所を移動した。死神は僕の肩に手を置いたまま、ふよふよと漂うようについてくる。
 男性用のスペースは、客がまばらどころか誰もいない。店員もカウンターにいる人を除けば無人だ。小声でなら、独り言をいくら呟いても問題なさそうだ。

「――ああいうことは、もうしないよ」

 まずはっきり、そう告げた。でも死神は顔色ひとつ変えない。

「へえ、そうなんですか。
 わたしは構いませんけれど……あなたは、本当にそれでいいんですか?」

「どういう……意味?」

「本当に……分かりませんか♥」

 背筋がぞくり、と震えた。恐怖でじゃない。快感のせいだった。
 死神が僕の股間を、ズボンの上から撫で回してた。手が実体化してる。今朝精液をたっぷりと搾り取ってきたあの指で、すりすりと布越しのペニスをさすってくる。

「っ……なんで……」

「なんでって……あなたのせい、ですよ♥
 あなたが望んだからこうなってるんです。人間さんお得意の口先だけの嘘じゃなく、心の奥底ではこうされたかったから。わたしと……また、えっちなことがしたかったから♥ それでこうして、わたしを実体化させてるんですよね?」

 違う、と口で言うよりも早く、ペニスが反応してしまってた。むくむくと膨らんだかと思うと、たちまちズボンを中から突き上げるほどに硬くなる。

「ひと気のない場所に移動したのも……じつは期待してたんですよね♥
 こっそりおちんちん気持ち良くしてもらっちゃお……って♥ いーけないんだ……♥」

 まるでペニスが透けて見えてるかのように、巧みに股間を撫でてくる。竿をつーっと人差し指でなぞり上げ、かと思えば手のひらを亀頭の膨らみに優しく押しつけてくる。カウパーがじわっ…と下着の中に滲む。

「今朝たくさんヌキヌキしてあげたのに、もう随分と溜まってますね♥ 英雄色を好む、とは言いますけれど、英雄のパパさんも精力は申し分ないようで。
 ……でも、困りました。これじゃあやっぱり今夜、佐織さんを孕ませてしまいそうです。お子さんが生まれちゃいます。
 わたしのお仕事は、それを邪魔することなので……♥」

「…………!?」

 しっとりすべすべの手が、カウパーまみれのペニスに触れた。
 一瞬遅れて理解する。ズボンと下着をすり抜けて、彼女の手が竿を扱きはじめてた。カウパーを塗り込むかのように、ペニス全体をぬとぬと擦ってくる。

「そういえば、言ってませんでしたか……♪
 いったん実体化する力をもらえれば、またすり抜けさせたりはわたしの自由ですよ。だからこうやって……素敵なおちんちんを、ごーしごし……♥♥」

「う、ぁっ……」

 腰の奥が、とくん、と跳ねた。精液がいまにも漏れそうになって、慌ててお腹に力を込める。わずかでも遅れていたら、射精のスイッチが間違いなく押されてた。
 本当にまずい。こんなところで出しちゃうわけには……。

「……いまのはちょっと惜しかったでしょうか。
 でも時間の問題ですよ。だって、もう覚えちゃってますよね? わたしに精液びゅーびゅーさせてもらうの最高に気持ちいいって♥
 ね、だからまた出しちゃいましょうよ……♥♥ 今夜のぶんが一滴も残らないぐらいに、濃くてどろどろのをいっぱい……♥♥」

「………っ…。
 ……もしか、して……君の目的っていうの、は……」

 ペニスの上を這いまわる快感に身悶えしつつ、それでも気づいた。
 この死神は、僕の精を徹底的に搾り取ろうとしてる。そうして佐織とのセックスを失敗させようとしてる。未来を自分の都合のいい方向に捻じ曲げるために。

「んふふ……気づいちゃいました? そういうことです……♪
 運命のレールに小石をひとつ、またひとつ……。そのために、あなたのおちんちんから白いのをどぷどぷ、またどくどく……♥ 空っぽになるまで何度でも……♥♥」

「や、め……やめて……っ…」

「それはちょっと聞けない相談です。わたしはお仕事はきちんとこなすタイプなので……♪
 ほら、いっそ諦めた方が楽になれますよ?」

 死神の手つきがさらに甘さを増す。僕の心を溶かしてくるかのように、ゆったりとペニス全体を揉み込んでくる。カウパーが馬鹿みたいにまた溢れる。

「さ、早く出しちゃいましょう……♥
 それにあんまり我慢を続けてると、誰か来ちゃいますよ……♪」

 最後の一言と同時に、死神がちらっと目を動かした。その視線の先に――佐織がいた。僕のことを探しに来たのか、辺りをうろうろ見渡してる。まだ、こっちには気づいていない。でも、きっとすぐ……っ…。

「すぐに気づかれちゃいますね……♪
 てことは、佐織さんの目の前で、ズボンの中にどぷどぷお漏らし……♥♥」

「…………!」

 それはダメだ。いくらなんでもダメだ。たとえ死神が他人には見えてなくても、妻の眼前でべつの女性に射精するなんて。それだけは……!

 頭が真っ白になった。でも、身体は動いてた。
 手近にあったワイシャツを一枚掴むと、そのまま――試着室に駆け込んだ。靴を脱ぐことさえせず、とにかくカーテンを閉める。

「なかなか考えましたね……♪
 ここでなら、醜態をあの人に晒さずに済みますものね……♥ ああそれか……人目を気にせず存分に射精できるって思いました?」

「…っ………」

 試着室の中までついて来た死神が、ズボンのベルトに手をかけた。
 振り払うべきだった。実体化してるいまなら、それが可能なはずだった。だけど、できなかった。もうこの時間を終わらせたいということしか、頭になかった。
 
 ぶるんっ、と音がしそうなほどに勢いよくペニスが露出する。自分のものか疑いそうになるほどの硬さと大きさ。佐織相手にここまでなったことは、一度もない。

「それではあまり時間もないことですし、こういうのは……ろう、れふか……♥♥」

 ペニスが咥え込まれた。
 唇も、口の中も、すでにぜんぶ実体化してた。唾液たっぷりの舌が亀頭に絡みつき、敏感なカリ首や裏筋をいきなり舐め回してくる。

「あぁ……すご……っ…」

 思わず漏れてしまった声に、死神がにんまり目を細める。

『あはっ……♥ それ、喜んでる声ですよね?
 おちんちんしゃぶられて、結局嬉しいんですね……♥♥』

 頭の中に声が響いてくる。
 舌ではれろれろと丹念に亀頭をねぶりながらも、死神が僕の心に、一方的に嘲りの声を流し込んでくる……っ…。

『いまだって、こんな狭い試着室の中で必死に身体を反りかえらせて、腰もぐいっと突き出して……♥ おちんちん舐めてって、ねだるポーズになって……みっともないですね♥
 ついさっき、なんて言ってましたっけ? あんなことはもうしない、でしたっけ……♪』

「っ……」

 自分の惨めさに、思わず目をつぶりそうになる。でも、ペニスがちゅぱちゅぱと吸われる感触にすぐさま視線が戻ってしまう。こんな綺麗な人が、僕のをしゃぶってる。その光景を、記憶に刻み付けようとしてしまう。
 
 最低だ。人間の屑だ。いますぐ壁に頭を打ちつけろ。
 自分自身に向かってそう叫ぶけれど、身体は動かない。ただひたすらに腰を突っ張って、ほかほかの口内でペニスがねぶられる感覚を味わってしまう。うぅ……くそっ……。

『ほぅら、ぺろぺろ……♥ じゅっぷじゅっぷ……♥♥
 おちんちんさん、物足りないところは残ってないですかー♥ 隅から隅までたっぷり舐めてあげますよー♥♥』

 いくら演技だとしても、こんなふうに甘く優しくフェラされた経験はなかった。佐織はこういう行為をあまり好まない。なによりこんな風にペニスを舐め回しながら、同時に淫らに囁いてくるなんて、人間には誰もできない。この快感に包まれながら射精できるのは、いましかない……。

『素直になってきましたね……いい子いい子♥
 それじゃあ……お射精の準備に入りましょうね。大切な人の声を聞きながら、こっそりびゅーってするの、とっても気持ちいいですよ♥』

「…………!」

 死神の言葉の意味は、すぐに分かった。
 佐織が、この試着室のそばまで来てた。僕がここにいるとは知らずに、名前を呼んで探してる。

『ちなみに抵抗しない方がいいですよ?
 中途半端にわたしを拒むと、実体化が解けちゃいます。下手したら、ここの壁や床に精液をどっぷどっぷ……♪
 せっかくの射精が台無しなうえに、試着室でオナニーしてた変態さんって烙印まで押されちゃいますよ』

 死神が僕の両腿に手をついて、さらに奥深くへとペニスを飲み込んでく。舌がひたひたと裏筋を叩く。その弱い刺激だけで出ちゃいそうなほどに、もう限界まで昂ってた。

『そんな惨めなことにならないように……ほら、かわりにしっかり気持ちいいのに集中してください♥ わたしのお口の形も、ぬとぬとのよだれも、心地いい体温も、ぜんぶしっかり感じてください……♥ わたしのことで頭いっぱいにしましょう……♥♥』

「…………」

 いまや声すら出せない僕には、抵抗の意思を示す方法がなかった。そのせいで、いやそれを言い訳にして、死神の身体に意識を向けてしまう。

 ペニスにまとわりつく粘ついた快感はもちろん、その端整としか呼びようのない顔も、ドレスの谷間がゆさゆさ揺れているのも、なにもかもに興奮してしまう。
 その途端。

(…………!? 匂いが……)

 甘い香りが広がった。女性の匂い。でも香水とかシャンプーとか、そんな生易しいものではなくて、もっとじかに生殖本能を刺激してくるような、淫らな芳香。

『ああ、匂いまで実体化しちゃいましたか……♥ どうやら……だいぶわたしのこと、気に入ってくださったみたいですね……♥♥ とっても嬉しいですよ。
 じゃ、ご褒美に……♥♥』

 ペニスにちゅーっと吸いつきながら、死神が片手を自分の胸元に持っていく。下乳側からドレスごとを持ち上げるようにして、おっぱいを揺らして見せる。たぷ、たぷっ……と白い乳房が波打って、あの甘い匂いがもっと強く……っ…。

「ふ、ぁ……っ……」

 狭い狭い試着室の中に、やらしい匂いが充満する。あまりに濃すぎて、匂いすら手触りを持っているように感じてしまう。ペニスをねっとりしゃぶられつつ、女の人に全身を抱きかかえられてるみたいな異様な幸福感。

『さ、このまま出しちゃいましょうね……♥
 わたしのお口と、わたしの匂いで頭の中いっぱいにして、とびっきりの裏切りお射精しちゃいましょ……♥♥』

 おっぱいがまた揺らされる。谷間からじかに湧き出してるんじゃないかと思うほどに、やらしい匂いがさらに強くなる。腰の奥がきゅーっと収縮する。死神の舌が、れろり、れろり…と愛おしそうに僕のモノを舐める。
 あぁ……佐織が僕を呼ぶ声がしてる……のに……。

『ぜんぶ飲んであげますから、安心して出していいですよ……♥♥
 ほら、せーの……♥♥♥』

 ――どくどくどくっ! どぷっ……! びゅる……びゅくっ……!

 唾液でとろとろの口の中に、粘ついた精液が溢れ出す。あまりに量が多すぎて、尿道を駆け上っていくあの感覚がいつもの何倍も長く感じる。
 出しちゃってる。佐織との子作りのためにとっておくべき大事な精液を、ほとんど見ず知らずの美女の口に、どくどくって……うぁ……っ…!

『あ、また溢れてきて……んっ……♥ 美味しい……♥♥
 とっても濃くて、生命力に満ちた素晴らしい精液ですよ? まあ、お口に出しちゃったら無駄打ちみたいなものですけれど……んっ、れろり……♥♥』

 死神が口の中で精液と唾液をぐちゅぐちゅに混ぜ合わせて、それをペニスに塗りつけてくる。射精直後で敏感な亀頭に、泡立った粘液がぬるりと擦れる。

『もっと出せますよね? わたしの匂いまで実体化させちゃうほどに溜まってた、あなたのえっちな気持ち……まだまだここに詰まってますよね?
 いっそぜんぶ出しちゃった方が、すっきりするかもしれませんよ♥ ほぅら……♥♥』

 ――びゅるっ……! どぷっ……どぽりっ……!

 試着室に立ち込める桃色の匂いを吸い込みながら、また腰を突き出し、精をたっぷり吐き出してしまう。死神の舌の上に、大切な子種がとぷとぷ漏れてしまう。
 あぁ……なにをしてるんだ、僕は……。でも……でも……きもち、いい……。
 
 
 
 
 
 
 ……やがて射精が落ち着いた頃には、佐織はいなくなっていた。どうやら別の店に僕が行った、と思ったみたいだ。
 その隙に試着室から抜け出て、何気ない顔して彼女と落ち合った。「僕も佐織を探しに行ってたから、どこかで行き違いになったみたいだね」と、もっともらしい嘘をついて。

 どうしようもなさすぎて自分が嫌になる。いっそいまからでも別れるべきなんじゃないか、とすら思う。だけど……だめだ。僕らが子供を作らなくなったら、それこそ死神の思う壺だ。佐織との関係はちゃんと維持しなきゃいけない。
 僕にできることといえば……次こそは裏切らないこと。死神の誘惑をきちんとはねのけ、射精したりなんてしないこと。それしかない。

 ……大丈夫。できるはずだ。いまだってとんでもない量を射精したんだ。もう次は平気だ。そうに決まってる。そうだ……絶対、そのはず……なんだ……。

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