ある日の二人(クロ編)

クロ
「お、おおー……」

目の前に広がるマーケットの光景に、
クロが感動と戸惑いが入り混じったような
驚きの声を上げる。

人がいっぱいいるところに行ってみたい、
と言ってたから連れてきたんだけど……。
行き交う人の数、賑やかなざわめき、
そして色んなお店に圧倒されちゃったみたいだ。

クリス
「クロ……大丈夫?
なんだったら、どこかで少し休んでから」

クロ
「ふぇ……あ、えと。
ううん、大丈夫、大丈夫……。
ちょっとびっくりしただけ、だもん」

恥ずかしいところを見られたと思ったのか、
クロの顔がちょっと赤い。
でも、ふと楽しそうな顔になると、
いかにも、ふふーん、という感じで笑った。

クロ
「それに、私だってちゃんと知ってるんだよー。
こういうのは、お祭りっていうんでしょー」

クリス
「…………えっと。
そういうわけじゃ、なくて。
これが普通……かな」

クロ
「……普通の、お祭り?」

クリス
「普通の……なんでもない、平日」

クロ
「…………。
普通……これが……。
ほえ」

変な呟きが漏れたのにも気づかず、
クロはまた人の群れを眺める。
よっぽど驚いたみたいだ。

クリス
「どこか、気になるお店とかある?」

クロ
「ぜ、ぜんぶ気になる……」

クリス
「そ……そっか。そうだよね。
じゃあ、一番気になるのは?」

クロが一生懸命に色んなところを見渡して、
それから、不意にぴょんっと飛び跳ねた。

クロ
「ね……クリスくん、あれ、あれ。
あのお店で売ってるの、気になる。
クレープ……って、なんだろう?」

クロの視線の先に会ったのは、
クレープの露店だった。
女の子達やカップルがたくさん集まってる。

クリス
「えっと、食べ物……お菓子の一種、かな。
といっても、見た方が早いね。
ちょっと行ってみようか」

周囲に「すみません」と声をかけつつ
クロを先導するようにして
人の波に分け入っていく。

クロ
「…………」

振り向くと、クロはおっかなびっくり
僕についてきていた。
よく見ると、僕の服の裾がぎゅっと握られてる。

クリス
「…………」

クロの手をとり、そっと握る。
小さくてあたたかい手が、
一瞬驚いてびくっと震える。
それから、きゅっと握り返される。

クロ
「……えへへ」

背後で、はにかんでるような声が聞こえるけど、
想像でしか分からない。
ちょっと振り向けない……恥ずかしくて。

クリス
「……よっと。よし、着いた。
これがクレープ屋さん。
メニューから好きなの選ぶんだよ」

ふんふん、と真剣に僕の説明を聞いてから、
クロがお店の様子を伺う。
クレープの調理過程が気になるみたいだ。

クロ
「ほうほう、皮……みたいなのを広げて。
わ、イチゴたくさん……で、
えっえっ、クリームをそんなに……!?」

まるで犯罪でも見つけたかのような顔で、
クロが僕を振り返る。
まだ握られたままの手がぽかぽかあったかくて、
クロが興奮してるのがそっちでも分かる。

クリス
「クリームは、まあたっぷりだけど
こういう食べ物だから……。
あと甘くないやつもあるよ。ほら、あれとか」

ソーセージとチーズを包むタイプの、
いわゆる食事系のクレープもあった。
クロの手が、またほんのり熱くなる。

クロ
「そういうのもありなんだ。
な、なかなかやるね……うん」

言ってることはよく分からないけど、
ちょっと周囲から目立ってしまってる気もする。
そろそろ注文した方がいいかも。

クリス
「で、どれにする?
好きなの頼んで大丈夫だよ」

クロ
「……えっと、その、迷っててね」

クリス
「……うん。だろうと思った。
どれとどれ?」

なんなら、片方は僕が注文すればいいかなって
思ったんだけど……。

クロ
「あのね、イチゴのとバナナのと。
それから、アイスクリームのも。
プリンもだし、それにハチミツのも……」

クリス
「…………」

クロ
「あっ、その目はなにかなー……。
まるで子供みたいだ、とか
思ってるでしょー」

クリス
「……おもってないよ?」

クロ
「ぜったい思ってるー。
うー、ここはクリスくんの街なんだから
お姉さんが色々知らないのは仕方ないの」

クリス
「まあ、それはそうなんだけど……」

そもそもあの洞窟から長く出ていなかった
クロにとっては、なにもかも新鮮なはずだった。
それこそ、子供みたいに飛び跳ねたって
おかしくないくらい。

クリス
「……分かった。
じゃあ、ここは思い切ってあれにしよう」

クロ
「…………?」

ちょうどカウンターが空いた隙に、
一歩前に出て注文する。
店員さんに「スペシャルで」と告げる。
クロは相変わらず不思議そうな顔をしてる。

支払いをしてるあいだに、
たちまち大きなクレープが出来上がる。
カウンター越しに差し出されたそれを、
クロが慌てて受け取る。

クロ
「わ、おっきい……。
それにイチゴも、バナナもアイスも。
ぜんぶ入ってるー♪」

クリス
「うん、スペシャルメニュー。
これなら全部味わえるから」

クロ
「クリスくん……ありがとう。
あ、で、でも、おっきすぎて
落ちちゃいそう」

さすがに両手で食べる想定のものだから、
片手だと不安定だ。
それでも、クロは僕の手を離さない。

無言で僕の手もクレープに添える。
クロがにぱっと嬉しそうに笑ってから
クレープを一口頬張る。
目尻がそれはそれは嬉しそうに下がる。

クロ
「美味しい……はむ」

クレープを一口ずつ大事そうに食べながら
クロがお店の周り……というか、
マーケット全体の人の往来を眺めてる。
穏やかで、とても幸せそうな表情。

クリス
「良かったね……クロ」

クロ
「………うん」

クロがやわらかく微笑む。
まるで人の営みを慈しむ女神様みたいだった。
……口元についたクリームさえなければ。

クロ
「……いま気づいたんだけど」

マーケットの様子を見ていたクロが、
今度はじっと僕を見つめる。

クリス
「……どうしたの?」

クロ
「これ食べすぎちゃうと
他のが食べられなくなっちゃうかも」

クリス
「クロ、まだそんなに食べる気なん」

言いかけた僕の前に、
大きなクレープが差し出される。
甘い匂いがふわっと漂う。

クロ
「だから……はいっ。
クリスくんもどーぞ♪
お姉さんの食べかけで、ごめんね?」

そのクロの言葉と行動に、
彼女の優しさが詰まってる気がした。
さすがに恥ずかしいけど、
でも思い切ってクレープに口を近づける。

クリス
「じゃあ………一口。
……ん、美味しい」

クロ
「ふふー、良かった♪」

クロが僕に笑いかけてくれる。
さっきまでの慈愛の微笑みとも違う、
嬉しさが溢れている表情。
繋いでいる手があったかい。

クロ
「これからもずっと、
美味しいもの一緒に食べようね。
いっぱいいっぱい、たくさん…♪」